地蔵和賛と動物への鎮魂歌

☆地蔵和賛☆

これはこの世のことならず
死出の山路の裾野なる
さいの河原の物語
聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬおさなごが
父恋し母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり
悲しさ骨身を通すなり

かのみどりごの所作として
河原の石をとり集め
これにて回向の塔を組む

一重組んでは父のため
二重組んでは母のため
三重組んではふるさとの
兄弟我身と回向して
昼は独りで遊べども
日も入り相いのその頃は
地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする
娑婆に残りし父母は
追善供養の勤めなく

(ただ明け暮れの嘆きには)
(酷や可哀や不憫やと)
親の嘆きは汝らの
苦患を受くる種となる

我を恨むる事なかれと
くろがねの棒をのべ
積みたる塔を押し崩す

その時能化の地蔵尊
ゆるぎ出てさせたまいつつ

汝ら命短かくて
冥土の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し
我を冥土の父母と
思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣の    /ミゴロモ
もすその内にかき入れて
哀れみたまうぞ有難き

いまだ歩まぬみどりごを
錫杖の柄に取り付かせ
忍辱慈悲の御肌へに   /ニンニクジヒ ミハダ
いだきかかえなでさすり
哀れみたまうぞ有難き

南無延命地蔵大菩薩

真言

オン カ カ カ ビ サンマエイソワカ
口奄 訶 訶 訶 尾 娑摩 曳 娑婆訶


☆もう一つ
  
帰命頂礼地蔵尊
無仏世界の能化なり

これはこの世のことならず
死出の山路の裾野なる
さいの河原の物語
聞くにつけても哀れなり

この世に生まれし甲斐もなく
親に先立つありさまは
諸事の哀れをとどめたり

二つや三つや四つ五つ
十にも足らぬおさなごが
さいの河原に集まりて
苦患を受くるぞ悲しけれ    /クゲン

娑婆と違いておさなごの
雨露しのぐ住処さえ
無ければ涙の絶え間無し
河原に明け暮れ野宿して
西に向いて父恋し
東に向いて母恋し

恋し恋しと泣く声は
この世の声とは事変わり
悲しさ骨身を通すなり

げに頼みなきみどりごが
昔は親のなさけにて
母の添い寝に幾度の
乳を飲まするのみならず
荒らき風にも当てじとて
綾や錦に身をまとい
その慈しみ浅からず

然るに今の有様は
身に一重さえ着物無く
雨の降る日は雨に濡れ
雪降るその日は雪中に
凍えて皆みな悲しめど

娑婆と違いて誰一人
哀れむ人があらずなの
ここに集まるおさなごは
小石小石を持ち運び
これにて回向の塔を積む

手足石にて擦れただれ
指より出づる血のしずく
からだを朱に染めなして
一重つんでは幼子が
紅葉のような手を合わせ
父上菩提と伏し拝む

二重つんでは手を合わし
母上菩提と回向する
三重つんではふるさとに
残る兄弟我がためと
礼拝回向ぞしおらしや

昼は各々遊べども
日も入相のその頃に
地獄の鬼が現れて
幼き者の側に寄り

やれ汝らは何をする
娑婆と思うて甘えるな
ここは冥土の旅なるぞ
娑婆に残りし父母は

今日は初七日、二七日
四十九日や百箇日
追善供養のその暇に

ただ明け暮れに汝らの
形見に残せし手遊びの
太鼓人形風車
着物を見ては泣き嘆き

達者な子供を見るにつけ
なぜに我が子は死んだかと
酷や可哀や不憫やと
親の嘆きは汝らの
責め苦を受くる種となる

必ず我を恨むなと
言いつつ金棒振り上げて
積んだる塔を押し崩し

汝らが積むこの塔は
ゆがみがちにて見苦しく
かくては功徳になりがたし
とくとくこれを積み直し
成仏願えと責めかける

やれ恐ろしと幼子は
南や北や西東
こけつまろびつ逃げ回る

なおも獄卒金棒を
振りかざしつつ無惨にも
あまたの幼子睨み付け
既に打たんとするときに
幼子怖さやる瀬無く
その場に座りて手を合わせ
熱き涙を流しつつ
許したまえと伏し拝む

拝めど無慈悲の鬼なれば
取り付く幼子はねのけて
汝ら罪なく思うかよ
母の胎内十月の内
苦痛さまざま生まれ出て
三年五年七歳と
わずか一期に先だって
父母に嘆きを掛くること
だいいち重き罪ぞかし

娑婆にありしその時に
母の乳房に取りついて
乳の出でざるその時は
責まりて胸を打ち叩く

母はこれを忍べども
などて報いの無かるべき
胸を叩くその音は
奈落の底に鳴り響く

父が抱かんとするときに
母を離れず泣く声は
八万地獄に響くなり

父の涙は火の雨と
なりてその身に振りかかり
母の涙は氷となりて
その身をとずる嘆きこそ
子故の闇の呵責なれ

かかる罪とがある故に
さいの河原に迷い来て
長き苦患を受くるとぞ
言いつつまたもや打たんとす

やれ恐ろしと幼子が
両手合わせて伏し拝み
許したまえと泣き叫ぶ
鬼はそのまま消え失せる

河原の中に流れあり
娑婆にて嘆く父母の
一念届きて影映れば
のう懐かしの父母や
飢えを救いてたび給えと
乳房を慕いて這い寄れば

影はたちまち消え失せて
水は炎と燃え上がり
その身を焦がして倒れつつ
絶え入ることは数知れず

峰の嵐が聞こえれば
父かと思うて馳せ上がり
辺りを見れども父は来ず
谷の流れの音すれば
母が呼ぶかと喜びて
こけつまろびつ馳せ下り
辺りを見れども母は無く

走り回りし甲斐もなく
西や東に駆け回り
石や木の根につまづきて
手足を血潮に染めながら

幼子哀れな声をあげ
もう父上はおわさぬか
のう懐かしや母上と
この世の親を冥土より
慕い焦がれる不憫さよ

泣く泣くその場に打ち倒れ
砂をひとねの石まくら
泣く泣く寝入る不憫さよ

されども河原のことなれば
さよ吹く風が身にしみて
まちもや一度目をさまし
父上なつかし母ゆかし
ここやかしこと泣き歩く

折しも西の谷間より
能化の地蔵大菩薩
右に如意宝の玉を持ち
左に錫杖つきたまい
ゆるぎ出てさせたまいつつ

幼き者のそばにより
何を嘆くかみどりごよ
汝ら命短かくて
冥土の旅に来るなり
娑婆と冥土はほど遠し
いつまで親を慕うとぞ

娑婆の親には会えぬとぞ
今日より後は我をこそ
冥土の親と思うべし
幼き者を御衣の    /ミゴロモ
袖やたもとに抱き入れて
哀れみたまうぞ有難や

いまだ歩まぬみどりごも
錫杖の柄に取り付かせ
忍辱慈悲の御肌に   /ニンニクジヒ  オンハダ
泣く幼子も抱き上げ  /イダキ
なでさすりては地蔵尊

熱き恵みの御涙    /オンナミダ
袈裟や衣にしたりつつ
助けたまうぞ有難や

大慈大悲の深きとて
地蔵菩薩にしくはなく
これを思えば皆人よ
子を先立てし人々は
悲しく思えば西へ行き

残る我が身も今しばし
命の終るその時は
同じはちすのうてなにて
導き給え地蔵尊
両手を合して願うなり

南無大悲の地蔵尊
南無阿弥陀仏阿弥陀仏

真言

口奄 訶 訶 訶 尾 娑摩 曳 娑婆訶


こちらと動物ご供養のポエム

b> 色々な場面において 動物さんの魂に手を合わせたい時 良い意味でのご供養から お祓い お清めをしたい時 とりあえず 声をだして この詩を読んで 欲しいと思います


☆動物さんへの鎮魂歌 風と花をたむけとして☆

 生まれた時 暖かな血潮が 手の先から足の先まで 体温を運んだ 新しい器を この世界に頂いて 思い切り 体を伸ばして 隅々まで 暖かくとても 暖かくなった

初めて目を開いたら 真っ白な光が ずーっとずっーと広がって 真っ白に輝く世界を 差し出された これから作る未来
 
 朝 眩しいと くしゃみが出た 鼻をヒクヒクと動かしたら とっても 良い香りがした 緑色の 短い草が 風に さらさら揺れて そのたび きらきら 光ったりした 前足 後ろ足 そっと 踏みしめたら 柔らかくて 嬉しくて 嬉しくて 駆け出した どこまでも どこまでも 
 タンポポの黄色い お花が好きだよ 日向の土の 優しいぬくもりが好き のんびり 空をみあげたら 白い雲が どこかへお出かけしていった
 どこへ行くのかな あの暖かな お日様まで行くのかな お日様まで おいで 来ても良いよ 君がとっても 大好きだから おいで 
日向のお昼ねは とっても気持が良いから 静かに目をつぶって 風の子守歌をききながら 大好きなたんぽぽの香りをかいで
 お日様のところまで あの雲の船にのって

オン アロリキャ ソワカ  3回 唱えてください

 どんなお経よりも 心から流れる 切ない涙が 一番のご供養になると 私は思っています。ただ 悲しくて ただ苦しくて 
 とても愛しく 大切な魂が この世の サナギをぬぎしてて 旅たつ時は

その旅路が 楽しく優しく 心やすらかに 不安ではなく 逝って欲しい そう 願います。 逝く先は 優しい光の中なのだから 心配いらないはずなのに ついて行っては あげられない場所だから とても切なくて 別れの時は 声も抑えきれず ないてしまう

体の消失が とても辛く 恐怖にみちていたのなら きっと その先も 怖いままだから あなたに ちゃんと 伝わる言葉で あなたがちゃんとわかるように きっとあなたも そうしたであろう なみだをあなたに捧げます 脳の中からも 血の中からも 細胞の事も考えず 内臓の事も忘れて 明日は目が開かなくても この体から そう この世界の始まりの海を あなたのために しぼりだして あなたも そうでしたね きっと泣くしか すべもなくて この世の無情に 震えたでしょう ならば 私も打ち震え あなたの嘆きをひきづきましょう たった一つ 解ってくれたら それで 良いから この涙だけ 本物と 認めてくれたら どうか 光を あなたの生きた陽だまりを その光だけは 優しいと どうぞ 信じて 何物も 脅かすものの 届かないばしょへ


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